セブン・イレブンジャパンの創設者 鈴木敏文に学ぶビジネスチャンスのつかみ方

名経営者に学ぶ ビジネスチャンスのつかみ方

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セブン・イレブンジャパンの創設者 鈴木敏文に学ぶビジネスチャンスのつかみ方

鈴木敏文
セブン・イレブンジャパンの事実上の創設者
1932~

まずは視点を変え、挑戦する価値があるかどうかを考える。 そして自分の中で六~七割、実現できる可能性が出てきたら挑戦する。

鈴木敏文は、長野県で生まれ、中央大学を卒業した。
編集者を目指したが、目標としていた出版社が採用を行なっていなかったので、東京出版販売(現在のトーハン)へ入社した。
同社では、発行部数がわずか五〇〇〇部だった「新刊ニュース」に読み物を加えることによって一〇万部以上にまで伸ばし、業界の注目を集めた。

昭和三八年(1963)、鈴木は三〇歳になったのを機にイトーヨーカ堂へ転職し、同社の創業者伊藤雅俊の右腕となった。
その鈴木がアメリカにコンビニエンスストアというものがあると知ったのは、三九歳のときだった。
彼は、アメリカのサウスランド社からフランチャイズ権を購入し、セブン・イレブンを出店することを提案した。

鈴木は昭和四八年にヨークセブン(現在のセブン・イレブン・ジャパン)を設立し、新聞広告などで集めたスタッフとともに出店に向けて動き出した。
そして翌年の五月に、東京都江東区豊洲に一号店をオープンした。

その後の三〇年間でセブン・イレブンの店舗数は一万店を突破。
その成功をみて数多くの企業が追従し、さまざまなコンビニエンスストアが開店。いまやコンビニエンスストアなしの生活など考えられなくなったといってもいいだろう。

だが、当初、鈴木が提案した「コンビニエンスストア」の出店は社内で大反対を受け、ヨークセブンの設立は鈴木のほぼ独断で行われたという。
上層部の胸の内には、「外様で流通業界の経験がないヤツに何がわかる」という気持ちがあったはずだ。
成功したときにも「ビギナーズラック」と考えた者がいるだろう。
だが、冒頭の言葉どおり、鈴木は六~七割の勝算があったからこそ提案したのだった。

会議などで提案を拒否されるのはよくあることである。
それで引き下がるのは、自分にも自信がなかったためではないか。
事前によく検討し、勝算のある提案をすれば、たとえ拒否されても独力で挑戦するという道が拓けてくるはずだ。
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