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モルガン商会を巨大財閥にした人物 J・P・モルガンから学ぶ「成功するビジネスの秘訣」

モルガン商会を巨大財閥にした人物 J・P・モルガンから学ぶ「成功するビジネスの秘訣」

J・P・モルガン
モルガン商会を巨大財閥にした人物
1837~1913

どこかにたどりつきたいと欲するならば、 いまいるところには、とどまらないことを決心しなければならない

モルガンはコネティカット州でモルガン商会を営むジュニアス・モルガンの息子として生まれた。
父親は息子の将来を考え、ボストンの高校へ行き、主に数学を学ぶように勧めたという。
その父の期待どおり、高校で優秀な成績を上げたモルガンだったが、突然リウマチ熱にかかり一年間休学することになる。

復学して卒業を果たしたモルガンは、スイスの学校ではフランス語を会得、また、ドイツのゲッティンゲン大学を卒業後、ニューヨークのダンカン・シャーマン商会に就職。
そこで金融業について学ぶと、1860年に父の銀行のロンドン支店をまかされ、1871年にフィラデルフィアの銀行家とともにドレクセル・モルガン商会を設立した。
その後、この会社は1895年にJ・P・モルガン商会に組み込まれ、パリとロンドンに支店を出した。

モルガンは1900年までにアメリカの中小の鉄道会社を統合することに成功し、国内最大の鉄道事業の指導者になった。
また、1901年にはUSスチール社を創設し、金融や鉄道業界だけでなく、数多くのアメリカ企業の支配権を獲得した。
1912年、アメリカ政府の調査によれば、モルガンは鉄鋼生産の53%、鉄道路線の34%、機械生産の60%を支配していたというから、モルガン帝国なくしてアメリカ経済は成り立たなくなっていたといってもいいだろう。

自身の言葉どおり、いまいるところには決してとどまらず、常に積極的に事業を拡大し続けたモルガンだが、彼は自分自身の利益だけを追求した人物ではなかった。
篤志家としても知られたモルガンは、その分野でもただとどまっているだけではなく、積極的に行動する人物だった。

たとえば、1893年にアメリカを不況が襲った際には、6200万ドルの政府債を金で購入し、国庫の金準備を一億ドルに回復させて金融不安を解消した。
また、1907年の恐慌でも、私財を投入して主要な銀行や企業の倒産を防いだのである。


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